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つりがね草

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地吹雪


キミは吹雪というものは知っていますよね。
――私の名前ではなく、気象の方の吹雪です。
私のことを本当に知っているのかという、そんな哲学的な問いに兄さんが答えたいならばそれはそれでも構いませんが。

それとは別に、地吹雪というのは知っているでしょうか?
単純に吹雪であれば、降雪と強風が一緒に起こったものなのですが、地吹雪の場合天候は晴れ、しかしその地域特有の突風によって一度地面に降り積もった雪が巻き上げられ、再び風に乗り、吹雪のように私たちに吹きつけるものです。
例えるなら、“下から”雪が降ってくるような物だそうで、物の本によれば、それはそれはとても恐ろしいものだということです。

兄さんは興味が有りますか?
私は少し、興味があります。
自分の名前に関連しているからというわけでは――
いえ、正直に言えば、やはり。

私は、地吹雪というものを体感してみたいです。
吹雪よりも恐ろしいなどと言われるものを、体感してみたいのです。


……
………

目の前にはいわゆる白銀の世界が広がっていました。太陽の光を反射し輝く様は、目を開けて見ていられないほどでした。
「という訳でやってきました山形県庄内地方!やっぱり東京と比べて寒いなぁ……っていうか寒っ、なにこれやばい寒い」
「…………………………」
「あれ?どうしたの吹雪、寒さで固まっちゃった?」
「その……何から聞いたらいいのか」
「何かって?」
「どうやってここまで来たのですか?」
「それを聞くのは野暮ってものだよー」
「……では、なぜここに?」
「ああ、それには答えられるよ」
兄さんは笑顔を浮かべて言い放った。
「俺たちは地吹雪を体験しに来たんだ」

「……………………」
嗚呼兄さん、私としては、たった今興味の順位が入れ替わったと言っても過言では無いのですが。
気がつけば私は冬用の外着を着ていました。厚手のタイツにズボン、肌着にシャツにセーターにコート、手には手袋、頭には毛糸の帽子。いつも私が身に付ける冬服のセットよりも若干厚手の物ばかりです。熱がこもりすぎるし動きにくいので、こういうのはあまり好きでは無いのですが。
周りをなんとか見回してみると――確かに私達は雪原の真ん中に立っていました。私の足は雪の中に深く埋もれ――これもいつ履いたのかは分かりませんが、スノーブーツを履き――遠くには群れるように市街地が見え、そこへ向かってそれなりに交通量の多い幹線道路が伸びています。どうやらここは郊外に広がる農地のようです。水田か何かでしょうか?市街地のさらに向こう側には、その肌を真っ白に化粧した山々がそびえ立ち、稜線が青空とコントラストを生み出しています。
そして――雪原に立ち尽くす私達の周囲には、足跡がひとつもありませんでした。ただのひとつもです。例えるなら、蛍姉が作って綺麗にデコレーションしたばかりのショートケーキの上にイチゴをぽんと一つ乗せたようなイメージで。傷一つ無い新雪が私達の周りに積もっているのです。
私は訝しげな顔で隣に立っている兄さんの顔を見上げると、兄さんは笑顔で私の顔を見下ろしていました。
「ま、気にすることはないよ。夢だと思えば万事解決」
「……夢、ですか」
ここが本当に山形県だとして、その手段だとか、旅費だとか、時間だとか、帰りはどうするのだとか、いつの間にこんな防寒具を着たのだとか――私の頭の中に生まれた問いの山を解決する魔法の言葉がありました。
これは夢なのだと。
不条理なことがっても仕方が無いのだと。
なので、私は思考停止することにしました。

そう決めると疑問の山は雪が溶けていくように消えていき、私の頭の中はクリアになっていきました。正しいか正しくないかは、兄さんの口から語られないことには私にはどうしようもないのですから。
「……………………そうですね、ありがとうございます兄さん」
「いやお礼なんていいんだよ、俺はただ連れてきただけなんだから」
兄さんは照れくさそうに笑っています。

「さて吹雪、ここはね、見て分かるとおり地吹雪が起こる場所なんだ。あの山を越えてきた季節風が、遮るもののない平野を勢い良く吹き抜けていくという訳で……」
その場にしゃがみ込んだ兄さんは、足元に積もった雪を掻き取って、両手でぐっとひとつに握り込みます。
「その上ここら辺の雪はそれはもうサラッサラでね、こんな風にしても……吹雪、ちょっと手を出してみて?」
「? はい…」
兄さんが両手を開くと、そこには丸い雪玉が出来ていました。兄さんはそれを私が差し出した手の上に落として――私の手の上に乗ったと思った、その瞬間には雪玉は崩れてしまいました。
私は驚きます。兄さんの言う通りに、私の思っていた以上に雪はサラサラで、手の上に残った雪を同じように握りこんでみれば、それがとてもよく理解できました。どれだけ力を込めても雪同士は固まろうとせず、むしろ握り込む力がちょっとでもズレれば簡単に崩れてしまい、まるで片栗粉のような雪が手の間からこぼれ落ちていきます。
「そんな粉みたいな雪が突風で巻き上げられて、地吹雪になるって訳。『綿雪』じゃあ『吹雪』にはなれても、『地吹雪』にはなれないって感じかな?」
兄さんはよく分からない冗談を言って笑っていましたが、私はそれよりも、この雪に釘付けになっていました。
こんな雪は私たちの住む東京では決して降ることのないものです。気象に詳しい海晴姉でも、実際には見たことはまず無いでしょう。東京の雪は――私も数られるほどしか経験していませんが――ふわりとした雪の結晶が鈍色の空からちらほらと降ってきては、何かに触れるとすぐに溶けて無くなってしまう、とても儚いものです。
知らない内に、雪とはそういうものだと私は思い込んでいました。色んな種類の雪がある事は知っていても、経験する雪がそのようなものばかりだったので、仕方が無いことだとは思うのですが。
不意に私は、この雪原に飛び込みたい衝動に駆られました。きっとこの雪ならば、コートを汚すことも濡らすことも無く、つまりそのせいで春風姉や蛍姉を困らせることもなく――雪と氷の世界を存分に味わうことが出来るのでしょう。

「そろそろかな」
「……あ、はい。そろそろとは?」
「いい?吹雪、絶対に手を離しちゃダメだよ」
兄さんは私の問いには答えずに、大きな手袋の手でいつもより強めに私の手を握り込みます。見上げた兄さんの表情は、先ほどとは打って変わってとても真剣なものに変わっていました。
「――分かりました」
私はそれを察して、兄さんの手を握り返します。そして、兄さんが真剣に見ていた方へ、視線を向けました。

最初は何も起こっていないと思いました、先ほど見回した時と何も変わらない風景がそこに広がっていると、私は思っていて。
次に、私は遠くの市街地に、白く“もや”がかかっている事に気付きました。些細な変化だと思っていたそれは徐々に勢力を拡大していきます。そしてよく見ればそれは、右から左に流れるように動いていました。
「さぁて、こっちに来るぞ」
兄さんが呟いて、私の手をより一層強く握ります。その時私は、目の前にある雪原の端が“捲れていく”所を目撃していました。捲れ上がった雪はそのまま雪原を走り、まるであの時にTVで見た津波のように、こちらに押しかけてくる様子がはっきりと見て取れます――風向きは、私から見て右奥から左手前へ吹いているようです。白いもや……地吹雪も、それに従ってこちら側へ飛んできていました。

そしてそれは、私たちを焦らすこと無く、もしくは覚悟する時間さえも与えず、私たちを襲います。
「――っ!」
私の体が吹き飛んでしまいそうな強風と、雪原にある全ての雪をかき集めてきたのではないかという量の雪が、私たちに向かって吹いてきます。防寒具のお陰であまり寒くはありませんが、肌が唯一露出している顔だけどんどんと体温を奪われていきます。私は左腕を――兄さんと手を繋いでいないの腕を、顔の前にかざして何とか目を凝らしますが、正直に言えば、冷静に観察する余裕なんてありませんでした。観察しようにも周りはとにかく雪の白以外何も見えませんし(同じように風への防御姿勢を取る兄さんの姿は見えましたが)、風の音はごうごうと煩かったですし、飛ばされないように両足でしっかりと地面に踏ん張るので忙しくて本当に何もできませんでした。
しかし、ただ地吹雪の真っ只中にいるだけでも、私はとても楽しかったのです。ジェットコースターに初めて乗る子供のように期待に胸をふくらませ、そしてスリルを体感していました。

ですが、兄さん。
ジェットコースターのスリルは安全が保証されているからこそ楽しめるスリルなのです。そして私が今体感している地吹雪も、確かに安全が保証されていました。ジェットコースターならシートベルト、今回であれば――繋いでいる兄さんの手です。

絶え間ない強風の中、さらに一際大きな突風に煽られて、私はあれだけ離さないでと言われていた兄さんの手を一瞬だけ離してしまいました。一瞬――時間にしたら、それでも5秒ほどでしょうか?
「きゃっ――」
私の声は風に掻き消されて、きっと兄さんの耳には届かなかったことでしょう。何故なら私も兄さんの声を聞かなかったのですから。一際大きな突風はそれに見合っただけの雪を運んで、更に視界を悪くします。隣にいる兄さんの姿さえ霞んで消えてしまうほどに。手を伸ばせば届く距離にいる筈なのに、私はその一瞬だけは、白い世界に一人だけ取り残されたのでした。
「兄さん――」
私は兄さんのいる方向へ一歩踏み出そうとして――雪の足場にバランスを崩し、その場にしゃがみ込んでしまいます。それでも手だけは兄さんの方へ伸ばしていて――

――兄さんも悪いのですよ?
最初の時に、私にもっと説明をしておいてくれたなら――ここにどういう風に来て、どういう風に帰るのかをちゃんと教えてくれていたならば、私も心細くなることは無かったかもしれないのですから。
――そうです。私はその一瞬、どうしようもなく心細くなったのです。
そうではないと分かっていても、兄さんに置いていかれたかのような気持ちが私を襲い、地吹雪はその心の隙間に氷をするりと滑りこませます。私の体の熱はすっと一度に奪われて凍りつき、喉がつかえたかのように息が出来なくなってしまいます。
そして私はその時初めて、雪に、冬に、寒さに――恐怖を、感じました。
私の友達だと思っていた者たちから、恐怖を。

「びっくりしたー……大丈夫だった?」
「……はい」
そう思ったところまでで5秒。
その次の瞬間には、私が伸ばした腕を兄さんはしっかりと掴まえていました。兄さんはもう絶対に離すまいと、私の体を側に引き寄せて肩に手を置きます。
「ごめん吹雪、怖くなかった?」
「大丈夫、です」
平静を装いながら、喉の奥から搾り出した声で私は答えます。こんな事は絶対に兄さんには悟られてはならないと、私は思いました。それに忙しくて、後のことをよく覚えていないのがまた情けないのですが。


「すっかり体も冷えたことだし、家に帰ろっか」
「はい…でも、どうやって――」
「ん?簡単だよ」
兄さんは私の前にしゃがみ込んで言います。
「夢から覚める時は、昔からこうするものさ。一発だよ」
私のほっぺたをつまんだ兄さんは笑って――
「はは、吹雪のほっぺはぷにぷにだね」
「ま、まっへくら――」
「えいっ」



飛び起きるとそこは私のベッドの上でした。
私は寝相がいいと褒められることが多いのですが、今朝の私の掛け布団は、いつもの夕凪姉の布団のように足元まで蹴り退かされているようで。
「……はぁ」
全ては兄さんの言うとおりに夢だったようです。これは悪夢の部類に入るのでしょうか――?ため息と一緒に、体の疲れがどっと溢れでてくるような気がして、私はもう一度ベッドの上に寝転がります。
夢は記憶の再配置です。一度経験した何かを組み立てて、私はあの夢を創りだしたということでしょうか?ですが私は、あんな風雪や、痛みを経験した記憶はなく――
私は左の頬をさすります。兄さんに夢の中でつねられた頬は少し熱が残っているような気がしました。
そしてまた、私の頭は答えのない疑問を解決するためにぐるぐると回り始めます――二度寝をすれば夢の続きが見られると聞いたことがありますが、私の頭はもうすっかり冴えてしまっていました。続きを見ることは出来るのでしょうか?
もし見れるのなら――次は樹氷が見たいです、兄さん。
あれで懲りる私ではありませんので。

(おわり)

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