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つりがね草

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胡蝶の夢

ある朝吹雪は目覚めると、猫になっていた。


昨日の夜寝る時は確かに人間だった…それは間違い無い、と吹雪は自分のことを思い出す。
昨日の夜はいつものように薄いタオルケットの布団の中に入って、その中で自分の好みの寝相になるように軽く体を動かすと、それに満足してすぐに心地よい眠りに落ちたのも覚えている。
その時は確かに人間の腕に、人間の足に、人間の体だった――

吹雪は自分の手の平を見る。
そこには小ぶりでピンク色の、可愛らしい肉球があった。手の甲から腕にかけては柔らかそうなショートヘアの毛皮で覆われている。
毛の色は単色で髪の色と一緒だった。きゅっと手に力を込めてみると、鋭利な爪が肉の間から出てくる――爪だ、爪があるということは、一概には言えないだろうが吹雪のこの体が犬じゃなくて猫という証なのだろう。
獣の手や腕は人間のそれと違ってとても自由度が低かった、しかしその代わりに、そこには人間のものとは違うしなやかでスマートな筋肉が付いていた。
手ではなく、前脚。
それは地を駆け、高く跳ねる。流線型にしなる脚だ。
もっともそんな風に使う機会は私には来ないだろうと吹雪は考えながら、その四脚でベッドの上に立ってみる。頭の重さを背骨で支えるのではなく、首の力で支える立ち方。

ふぅ、と吹雪はひとつため息を漏らす。
確かに私は猫になっているようです――
人間だった頃の大きさは関係ないとでも言うように、すっかりと仔猫の大きさにまで縮んでいる。
子供用のベッドだったものが、今はまるでキングサイズのベッドに寝転んでいるかのようだ。
まあ苦手な虫にならなかっただけマシかもしれません、これはこれで悪くはありませんが――
吹雪は尻尾をくねらせながら、ともかく人間に戻る方法を考える。
猫には猫なりのメリットというものがあるのでしょうが、この体では満足に本を読むことさえできないのだから。

それに猫の姿というのがまずい――
我が家において、猫の姿は非常にまずい。
妹たちに見つかれば、可愛がるという名目でもみくちゃにされ
夕凪姉に見つかれば、マホウ調査という名目でもみくちゃにされてしまいます。
爪さえ立てることを許されずに、ただされるがまま――

幸い夕凪はこんな事になっているとは露とも知らず、まだ寝ているようで、
吹雪は音を立てずにベッドから飛び降りると、足音を立てずにドアに向かい、ドアを開けて――
届きません。

ああ――そうでした、私は今猫なのでした。
ドアノブの高さは床から100cmほど上にあり、仔猫の身長(正確には体高ですが)では到底届く高さではありません
人間の形態とサイズにフォーマットされたこの家では、ドア一つでさえも自由に行き来がすることができないようで、私の中で高まるやはり人間に戻りたいという気持ちを再確認します。
飛びついてドアノブを回そうにも、丸い形のこのドアノブではうまく回すことが出来ないでしょう。

「どうしたの吹雪ちゃん?」
どうしたものかと思案していたところで、私の三角形の耳が声を受けてぴくりと動きます。
振り返るとそこには、栗毛の雄々しい馬に跨った星花姉がいました。
黒檀のような艶やかで長い髭を風になびかせた星花姉はまさに関羽の扮装で、しかし不思議そうな表情でこちらを見ています。
「ドアが開かないの?」
はい、すいません星花姉、このドアを開けていただけませんか?
「こころえた!」
星花姉は勇ましくそう答えると、携えていた矛を風切らせドアノブを正確に穿ち、ドアを押し開けてくれました。
「えへん!」
流石です星花姉、ありがとうございます。――ところで騎乗をしているということは、どこかへ出かけるのですか?
「うん、これから黄巾党を討伐しに行かなきゃいけなくて……」
まるで宿題でも残ってたかのような口調ですが、星花姉の表情はとても嬉しそうで、その瞳は闘志に燃えていました。
良かったですね星花姉、星花姉の輝ける世界はここにあったようです。
「お姉ちゃんにはお昼ごはんまでに帰るって言っておいてください!」
そう星花姉は言い残して、パンダの牙門旗を揚々と掲げると、裏山の方向へ颯爽と駆けて行ってしまいました。蹄の音が遠ざかって行きます。
星花姉、ご武運を。


さて、ドアの隙間からするりと廊下に出てみると、どこからか人の話す声が聞こえてきました。
それはどうやら階下からで、声は綿雪のもののようでした。
柵の隙間から階下を覗き込んでみると、そこでは丁度、綿雪の絵本読み聞かせが行われていました。
絵本を持った綿雪の前には、マリーと、観月と、さくらと、虹子と、青空がいます。
「――それでは頼もしい仲間も集まったので、鬼ヶ島へ鬼退治に行きましょう!」
ふむ、どうやら読んでいるのは桃太郎のようですね。
「桃太郎たちは船に乗り込むと、海を渡って鬼ヶ島へ向かいました――」
綿雪がページを捲りその一文を読み上げると、まるで潮が満ちていく様に一階に水が溢れ出てきたかと思うと、瞬く間にそこは海原へと変わってしまいました。
ソファー、テーブル、テレビ……あらゆるものが水の中に沈んでしまっている中で、一艘の船だけが水面にぷかりと浮かんでいました。
綿雪達の乗った、桃太郎の船です。
桃太郎姿のマリーはなんだかつまらなそうな顔で海を眺めていました。
「マリーは王女なんだから、こんなヤバンな役なんてやりたくないんだけど……」
なら変わられては……
「マリーは主役なの!サルとかイヌとかイヤよ!」
はあ、そうですか…そんなサルやイヌは、青空と観月がそれぞれ演じていました。
「ききー!そら、おさるさんじょうずでしょ?」
「ワンワン!わらわは犬なのじゃ――コンッ!」
……何やら観月の頭の上に、見たことのない水色の毛玉のようなものが見えるのですが、あれについては触れないほうが良さそうだと、猫の直感がそう私に告げます。
残りのキジの役は虹子です。
「えっと……キジさんってどうおはなしするんだっけ?ピヨピヨ?」
ケーンって鳴くんですよ。
「そうなの?じゃあ、ケーン!ケーンv」
そしてさくらは、一心不乱にきびだんごを頬張っていました。
「きびだんごおいしいの…」
まあ、さくらが幸せならそれで良いのですが。
ちなみにそれは、ひとつ食べるたびに百人力だそうですよ。

船の上はまさにケンケンガクガク。
ですが綿雪だけはそんな皆の様子を見て、ニコニコと微笑んでいました。
そしてまた綿雪は絵本のページをめくると、船は水面を滑るように進み始めました。
「鬼ヶ島には氷柱お姉ちゃんによく似た青鬼が――」

と、そこで、人間の数十万倍の嗅覚を持つ私の猫の鼻が、とある匂いをキャッチしました。
それはこの女性ばかりの甘い匂いのする我が家において、とても特徴的な相反する匂いでした。
そう、兄さんの匂いです。
私は綿雪の話に聞き入ってしまっていた事に気付き、あわててその場を離れます。
あのまま眺めていたら、きっといつかは妹たちに見つかって、もみくちゃにされてしまうところだったでしょう。
本来の目的を思い出した私は、兄さんの匂いを辿っていくことにしました。

そして当然のごとく、私は兄の部屋にたどり着きます。
ドアは少し開いていて――どうやらここから兄さんの部屋の匂いが漏れていたようで――部屋の中に入れそうです。
その隙間から部屋の中に滑りこんでみると、部屋の中は薄暗く、しかし強化された私の猫の目はすべてを見通す事が出来ました。
私のとっては数えられるほどしか入ったことのない兄さんの部屋。
しかし私はそれをとても良く記憶していました。
そして、今私がいるこの部屋は、私の記憶の中の兄さんの部屋と寸分違わぬものでした。
シンプル&シック――私達が兄さんに贈ったプレゼントが大切そうに飾られている所以外は、とても落ち着いた雰囲気の部屋です。
男性の、兄さんの部屋と言うよりは、そこは私の好きな調度でまとめられているという点では、私の部屋とも言えます。

兄さんはベッドの上で眠っていました。同じように眠りに付いている時計の文字盤を見ると、5:48を指していました。
それなりな早朝でした、兄さんが寝ているもの無理は無いようです。
私ももう猫の体の使い方にも慣れてきて、ベッドくらいの高さであれば楽に飛び乗ることが出来ました。
狙いを定めて、空中に躍動した私は、数瞬後には足の裏に柔らかい掛け布団の感触を掴んでいました。
そして、目の前には兄さんの寝顔があります。女性のそれとは違う作りをしている兄さんの顔。

しかし、兄さんに助けていただくにしても――こんな時間では起こしてしまうのは忍びないですね。
もう一度よく時計を見てみると5:52を示しているものとは別の短い針が、文字盤の7をぴたりと指しています。
あと1時間ほどで目覚ましが鳴るようで、それまで待つほうが良いかもしれません。

そして――
そして私は何の気なしに、右の前足で兄さんの顔に触れました。
特に意図したわけではありません。むしろ考えていたなら兄さんの肌には触れられなかったでしょう。
なぜなら、私の苦手とするそれ――熱が、兄さんの肌から私に伝わってきてしまうからです。
本来であれば、チリッと軽い火傷にも似た感覚が私の肌に生まれるはずでした。
しかし、今は――
今私が感じているこれは――

繰り返しますが、元来私は熱というものが苦手でした。
涼しいもの、冷たいものを好んでいました。
冬が好きで、夏が嫌いで。しかし夏に食べるかき氷が好きでした。
そして、人肌の熱――兄さんの平熱は36.4℃と伺っています――は、私にとって熱すぎるものでした。
それは触れたくても触れられない、イカロスにとっての太陽のようなものでした。

しかし私はこうして、今まさに兄さんの肌に触れています。
驚くべきことでした。
それはとても心地の良い、人肌の熱でした。
兄さんの肌は、兄さんから伝わってくる熱は、私にとって――筆舌に尽くしがたく、とても、とても心地の良いものでした。
冷たさとはまた違っている感じで、何と言えばいいのでしょうか――
満たされる。
そんな感じでした。

兄さんが起きるまであと一時間ほど、それならば――ベッドの上、兄さんの傍らで私は体を丸めます。
それは今の私の落ち着く寝相でした。
兄さんの匂いと熱をすぐ側に感じながら、満たされる胸の内にたゆたいながら、急速に遠のいて行く意識の中で、私はこんな事を考えていました。
なぜ、兄さんの肌に触れられるのか――
人間の平熱は36℃ほど、対する猫の平熱はたしか38℃ほどだったと思います。
猫の平熱は人間のそれより2℃ほど高いのです。
そして、私の平熱――低体温である35.3℃が、体が猫になったことによって2℃ほど底上げされて37℃に、今まで自分より高かった人間の熱が下になり、それを耐えられるようになったのではないかと――
これは単なる推測です。
ですが、これなら――このまま猫の体のままでも良いかもしれないと、その時の私は思ったのです。


そして吹雪が目を覚ますと、その体は人間に戻っていた。他の誰でもなく、吹雪自身の体。
毛皮のない白く透き通るような肌と、そして手の平。
すべてが元通り。
きっと星花にも髭は生えていないし、一階は水浸しにもなっていないし、氷柱は鬼のままかもしれないが――
ただひとつ違う所は、吹雪の目覚めた所が兄の部屋だったというところだけだ。

「あ、よかった起きた! 吹雪おはよう」
「…………おはようございます」
兄は吹雪の顔をを心配そうにのぞき込んでいた。
「びっくりしたよ、起きたら横に吹雪が寝てて――体、なんともない?」
「……大丈夫です、心配をおかけしました」
「ところで、なんでまた俺の布団にいたの?」
「……猫」
「えっ?」
「いえ、なんでもありません。きっと寝ぼけていたのでしょう」
吹雪は目を覚ます様に頭を振る。夢に違いない。
思い返せばありえない事だらけで、メタモルフォーゼ、変身? そんな非科学的な事はあるはずがないのだ。吹雪はすべてを否定する。
しかし、しかし――
吹雪は鮮明に覚えていた。吹雪が今まで一度も味わったことのないはずのあの熱の感覚を。胸の中を満たした心地の良さを。
夢は脳が記憶したものを整理している時に見る、ザッピングされたシアターにしか過ぎないのだ。
ならば、あの感覚は――
そして吹雪は手を伸ばし、兄の手を取る。
チリッとした、熱を拒絶する感覚――
そこに気持ちの良さは無い。この感覚までも、すべてが、すべてが元通りだった。

吹雪は手を放して、兄の顔を見ながら言った。
「兄さん」
「うん?」
「ありがとうございました」
「…? 何が?」
確かに兄は吹雪を人間に戻してくれた。その感謝の言葉を吹雪は言った。
しかし兄から見た吹雪の顔は、声は、

その表情は――。



(おわり)

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