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つりがね草

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直径110cmの円の中で

勢いよく雨が降り始めたと思ったら止み、
止んだと思ったらまた同じ雨が降り始める。
私の記憶が確かなら、ここ一週間はずっとそんな天気が続いていた。
落ち着いて洗濯物も干せやしないと、蛍はたまっていく布の山を見てぼやいていた。
素直に室内干ししたらいいと思うのだが、中途半端に太陽が出ていると、どうにかしてその太陽の下に洗濯物が干したくなるらしい。太陽の光でふかふかの良い匂いになる洗濯物を、室内に干してしまうのは悔しいと蛍は言っていた。

いつものように空想に耽る時に空を眺めると、黒い雲、白い雲、そしてその切れ間の陽光が、映像を早送りをしているかのように交互に現れ、そして流れていく。
まあ、天気が分かりやすいという、その点だけはありがたいだろう。
この空がだんだんと黒い雲で覆われ、光を失い始めたら、その後にはほぼ間違いなく雨が降る。叩きつけるような大粒の荒々しい雨だ。
しかしその雨も少し雨宿りが出来る、屋根のある場所を見つけたなら恐れる事はなかった。そこで少し時間を潰している間に、その雨は簡単に止んでしまう。
あとはまた、その雨に捕まる前に目的地に急ぐなり、家に急いで帰るなり。
時を見計らえば、濡れずに行って帰ってくることも可能だった。

例えるなら…まあ、子供のような雨だろう。
気まぐれで、駄々をこねるように泣き出し、雨を降らせたかと思えば、輝く笑顔の蒼天をすぐに覗かせる。
つまり、子供だから仕方がないかと思える程度の災害なのだ、これは。

そして私、霙は、その子供に捕まっていた。
学校帰りの通学路、その途中。ああ空が暗くなり始めたかと思った途端にすとんと雨が降り始め――あわてて雨宿りを出来そうな場所を探すも、今回は運悪く、道沿いにあったとある建物の、申し訳程度に飛び出している庇に体をねじ込むことしか出来なかったという訳だ。
一粒でブラウスを貫通し、肌までを濡らす雨。それがいくつもいくつも、数え切れない量があの黒い雲から私をめがけて落ちてくる。

まったく、こんな事になるなら春風の言うことを聞いておくべきだったかと、私は雨に向かってため息を付く。
私は今朝のことを思い出す。玄関から出ようとする私を引き止めて、春風が言う。「海晴お姉ちゃんが今日も雨に注意してくださいって言ってましたよ?霙ちゃん、ほら、傘を持って行かないと――」
すぐ目の前には雨の壁――遠くが見えなくなるほどの雨の壁だ。これで少しでも雨が吹き込んできたなら、ここは一歩踏み出したその先と、雨に濡れる具合は全く変わらないだろう。
しかし――春風もピンク色の傘なんて出してくるんだぞ?ピンク色だ。あんな恥ずかしいものを私が差すなんて状況は、終末にもあってはならないと思う。
だから私も意固地になって、春風の差し出す傘を無視して家を出てしまった――こんなことになるならアイツの傘でも無理に借りておけばよかった。
黒色のシンプルな、他の皆が持つものよりも一回りも大きな傘。あれはいい、一回り大きいから雨に濡れにくいし、それに黒って色がいいじゃないか。それはすべてを飲み込む終末の色だ――

「――さん、霙姉さん!」
「ん?」
そんな事を考えていたら、私の目の前には弟が立っていた。
思いを馳せていた黒い傘の下には呆れたような表情が覗いている。
「傘、入ってく?」
「ああ……そうだな、頼む」
――いくら傘が大きいといっても、さすがに二人ともその恩恵に受けるには、それは若干小さく、傘の下は私たちの格好はとても窮屈なものになっていた。まあ…肩を濡らすのはオマエに任せよう。それが弟の勤めというものだろう?私は歩きながら、弟へとそっと体を預けるように寄せて――つまり傘の中心を陣取る。意図を察した賢い私の弟は、軽くため息をつきながらも、傘を握る右手を意地悪く動かしたりせずにそのまま私の側に置いておいてくれた。

「何か考え事してたの?」
弟が唐突にそんなことを言いだした。
「何かって、さっきか?」
「うん」
「ふむ、何だったか……」
水たまりを避けながら、ちょっと目を離した隙にどこかに行ってしまった記憶を手繰る。
「……ああ、オマエの傘のことを考えてたんだ」
「俺の傘?ってこれ?」
「ああ、そうだ」
弟は自分の持つ傘をゆく分からないといった顔で見上げていた。そして私はそんな弟の顔を見上げている。その時私は、何かの違和感をそこに感じた。今までに経験の無い――そして不思議と小気味の良い違和感だった。
私の足が止まる。よそ見をしていた弟は私の体にぶつかって、私を跳ね飛ばしそうになる。傘の表面に付いていた雨が衝撃でわっと傘を離れ、地面へと落ちて音を立てていった。跳ね返る水が足を濡らす――しかし私はそんな事よりも、今はこの違和感について考えるのに忙しかった。
「霙姉さん?」
弟は心配そうにこっちを見ている。私は再び弟の、オマエの顔を見て――そして私はその違和感に気付いた。とても単純な、その原因に。

私は家族の中では一番背が大きかった。海晴とはほぼ同じだけど――少しだけ私のほうが大きい。そして、我が家にはまだ小さい子供達が多く、足元にまとわりつく妹たちなんかを見ていると、そんな事実を自覚するような事が多かった。見下ろすことはあっても――見上げるなんてことは、私がこうして立っている限りほとんど無かった。
しかし今私は、オマエの顔を見上げている。見上げている。オマエの顔を――

「――フフ」
それに気付いて――本当に今さら気付いて、私の口から軽く笑い声が漏れる。
「……ん?何?何がおかしいの?」
「いや、なんでも……フフ、なんでもない」
「何か気になるじゃん、そういうの」
「オマエには――そうだな、一生分からないんじゃないか?」
「えっ、なんで?なにが!?」
「それは自分で考えろ」
「考えろって、今俺には分からないって言ったじゃん!?」
「ああもううるさいな、耳の近くでそんな大声を出すんじゃない」


気がつくと雨は止んでいた、ずいぶんと周りが静かになっている。しかし弟は私を追求するのに忙しいようで、そんなことには気付かず今も馬鹿みたいに傘を差したまま、地面には傘と私たちの影ができている。伸びる影はやはり、私のほうが少し短い。
さて、雨も降っていないのに一つの傘に仲良さそうに入っている男女は、人の目にはどう映るのだろうか?まあ……それは終末の前では些細な問題、些細すぎて問題にする必要もないくらいだ。それに、これも悪くはない。オマエとこうして肩を並べて歩くなんて機会もそうそう無かったから、私もきっとこれに気付かなかったんだ。ならば終末が訪れる前に、次があるとも分からないこの機会をもう少しだけ楽しんでも悪くはないだろう?
私は弟の顔と、ダークマター色の傘を見上げながら、そう思う。

しかし、まあそうだな――
しつこい男は嫌われるぞ?
だが、私はオマエのことを許してやろう。
私はお前の「姉」なんだから。

(おわり)

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胡蝶の夢

ある朝吹雪は目覚めると、猫になっていた。


昨日の夜寝る時は確かに人間だった…それは間違い無い、と吹雪は自分のことを思い出す。
昨日の夜はいつものように薄いタオルケットの布団の中に入って、その中で自分の好みの寝相になるように軽く体を動かすと、それに満足してすぐに心地よい眠りに落ちたのも覚えている。
その時は確かに人間の腕に、人間の足に、人間の体だった――

吹雪は自分の手の平を見る。
そこには小ぶりでピンク色の、可愛らしい肉球があった。手の甲から腕にかけては柔らかそうなショートヘアの毛皮で覆われている。
毛の色は単色で髪の色と一緒だった。きゅっと手に力を込めてみると、鋭利な爪が肉の間から出てくる――爪だ、爪があるということは、一概には言えないだろうが吹雪のこの体が犬じゃなくて猫という証なのだろう。
獣の手や腕は人間のそれと違ってとても自由度が低かった、しかしその代わりに、そこには人間のものとは違うしなやかでスマートな筋肉が付いていた。
手ではなく、前脚。
それは地を駆け、高く跳ねる。流線型にしなる脚だ。
もっともそんな風に使う機会は私には来ないだろうと吹雪は考えながら、その四脚でベッドの上に立ってみる。頭の重さを背骨で支えるのではなく、首の力で支える立ち方。

ふぅ、と吹雪はひとつため息を漏らす。
確かに私は猫になっているようです――
人間だった頃の大きさは関係ないとでも言うように、すっかりと仔猫の大きさにまで縮んでいる。
子供用のベッドだったものが、今はまるでキングサイズのベッドに寝転んでいるかのようだ。
まあ苦手な虫にならなかっただけマシかもしれません、これはこれで悪くはありませんが――
吹雪は尻尾をくねらせながら、ともかく人間に戻る方法を考える。
猫には猫なりのメリットというものがあるのでしょうが、この体では満足に本を読むことさえできないのだから。

それに猫の姿というのがまずい――
我が家において、猫の姿は非常にまずい。
妹たちに見つかれば、可愛がるという名目でもみくちゃにされ
夕凪姉に見つかれば、マホウ調査という名目でもみくちゃにされてしまいます。
爪さえ立てることを許されずに、ただされるがまま――

幸い夕凪はこんな事になっているとは露とも知らず、まだ寝ているようで、
吹雪は音を立てずにベッドから飛び降りると、足音を立てずにドアに向かい、ドアを開けて――
届きません。

ああ――そうでした、私は今猫なのでした。
ドアノブの高さは床から100cmほど上にあり、仔猫の身長(正確には体高ですが)では到底届く高さではありません
人間の形態とサイズにフォーマットされたこの家では、ドア一つでさえも自由に行き来がすることができないようで、私の中で高まるやはり人間に戻りたいという気持ちを再確認します。
飛びついてドアノブを回そうにも、丸い形のこのドアノブではうまく回すことが出来ないでしょう。

「どうしたの吹雪ちゃん?」
どうしたものかと思案していたところで、私の三角形の耳が声を受けてぴくりと動きます。
振り返るとそこには、栗毛の雄々しい馬に跨った星花姉がいました。
黒檀のような艶やかで長い髭を風になびかせた星花姉はまさに関羽の扮装で、しかし不思議そうな表情でこちらを見ています。
「ドアが開かないの?」
はい、すいません星花姉、このドアを開けていただけませんか?
「こころえた!」
星花姉は勇ましくそう答えると、携えていた矛を風切らせドアノブを正確に穿ち、ドアを押し開けてくれました。
「えへん!」
流石です星花姉、ありがとうございます。――ところで騎乗をしているということは、どこかへ出かけるのですか?
「うん、これから黄巾党を討伐しに行かなきゃいけなくて……」
まるで宿題でも残ってたかのような口調ですが、星花姉の表情はとても嬉しそうで、その瞳は闘志に燃えていました。
良かったですね星花姉、星花姉の輝ける世界はここにあったようです。
「お姉ちゃんにはお昼ごはんまでに帰るって言っておいてください!」
そう星花姉は言い残して、パンダの牙門旗を揚々と掲げると、裏山の方向へ颯爽と駆けて行ってしまいました。蹄の音が遠ざかって行きます。
星花姉、ご武運を。


さて、ドアの隙間からするりと廊下に出てみると、どこからか人の話す声が聞こえてきました。
それはどうやら階下からで、声は綿雪のもののようでした。
柵の隙間から階下を覗き込んでみると、そこでは丁度、綿雪の絵本読み聞かせが行われていました。
絵本を持った綿雪の前には、マリーと、観月と、さくらと、虹子と、青空がいます。
「――それでは頼もしい仲間も集まったので、鬼ヶ島へ鬼退治に行きましょう!」
ふむ、どうやら読んでいるのは桃太郎のようですね。
「桃太郎たちは船に乗り込むと、海を渡って鬼ヶ島へ向かいました――」
綿雪がページを捲りその一文を読み上げると、まるで潮が満ちていく様に一階に水が溢れ出てきたかと思うと、瞬く間にそこは海原へと変わってしまいました。
ソファー、テーブル、テレビ……あらゆるものが水の中に沈んでしまっている中で、一艘の船だけが水面にぷかりと浮かんでいました。
綿雪達の乗った、桃太郎の船です。
桃太郎姿のマリーはなんだかつまらなそうな顔で海を眺めていました。
「マリーは王女なんだから、こんなヤバンな役なんてやりたくないんだけど……」
なら変わられては……
「マリーは主役なの!サルとかイヌとかイヤよ!」
はあ、そうですか…そんなサルやイヌは、青空と観月がそれぞれ演じていました。
「ききー!そら、おさるさんじょうずでしょ?」
「ワンワン!わらわは犬なのじゃ――コンッ!」
……何やら観月の頭の上に、見たことのない水色の毛玉のようなものが見えるのですが、あれについては触れないほうが良さそうだと、猫の直感がそう私に告げます。
残りのキジの役は虹子です。
「えっと……キジさんってどうおはなしするんだっけ?ピヨピヨ?」
ケーンって鳴くんですよ。
「そうなの?じゃあ、ケーン!ケーンv」
そしてさくらは、一心不乱にきびだんごを頬張っていました。
「きびだんごおいしいの…」
まあ、さくらが幸せならそれで良いのですが。
ちなみにそれは、ひとつ食べるたびに百人力だそうですよ。

船の上はまさにケンケンガクガク。
ですが綿雪だけはそんな皆の様子を見て、ニコニコと微笑んでいました。
そしてまた綿雪は絵本のページをめくると、船は水面を滑るように進み始めました。
「鬼ヶ島には氷柱お姉ちゃんによく似た青鬼が――」

と、そこで、人間の数十万倍の嗅覚を持つ私の猫の鼻が、とある匂いをキャッチしました。
それはこの女性ばかりの甘い匂いのする我が家において、とても特徴的な相反する匂いでした。
そう、兄さんの匂いです。
私は綿雪の話に聞き入ってしまっていた事に気付き、あわててその場を離れます。
あのまま眺めていたら、きっといつかは妹たちに見つかって、もみくちゃにされてしまうところだったでしょう。
本来の目的を思い出した私は、兄さんの匂いを辿っていくことにしました。

そして当然のごとく、私は兄の部屋にたどり着きます。
ドアは少し開いていて――どうやらここから兄さんの部屋の匂いが漏れていたようで――部屋の中に入れそうです。
その隙間から部屋の中に滑りこんでみると、部屋の中は薄暗く、しかし強化された私の猫の目はすべてを見通す事が出来ました。
私のとっては数えられるほどしか入ったことのない兄さんの部屋。
しかし私はそれをとても良く記憶していました。
そして、今私がいるこの部屋は、私の記憶の中の兄さんの部屋と寸分違わぬものでした。
シンプル&シック――私達が兄さんに贈ったプレゼントが大切そうに飾られている所以外は、とても落ち着いた雰囲気の部屋です。
男性の、兄さんの部屋と言うよりは、そこは私の好きな調度でまとめられているという点では、私の部屋とも言えます。

兄さんはベッドの上で眠っていました。同じように眠りに付いている時計の文字盤を見ると、5:48を指していました。
それなりな早朝でした、兄さんが寝ているもの無理は無いようです。
私ももう猫の体の使い方にも慣れてきて、ベッドくらいの高さであれば楽に飛び乗ることが出来ました。
狙いを定めて、空中に躍動した私は、数瞬後には足の裏に柔らかい掛け布団の感触を掴んでいました。
そして、目の前には兄さんの寝顔があります。女性のそれとは違う作りをしている兄さんの顔。

しかし、兄さんに助けていただくにしても――こんな時間では起こしてしまうのは忍びないですね。
もう一度よく時計を見てみると5:52を示しているものとは別の短い針が、文字盤の7をぴたりと指しています。
あと1時間ほどで目覚ましが鳴るようで、それまで待つほうが良いかもしれません。

そして――
そして私は何の気なしに、右の前足で兄さんの顔に触れました。
特に意図したわけではありません。むしろ考えていたなら兄さんの肌には触れられなかったでしょう。
なぜなら、私の苦手とするそれ――熱が、兄さんの肌から私に伝わってきてしまうからです。
本来であれば、チリッと軽い火傷にも似た感覚が私の肌に生まれるはずでした。
しかし、今は――
今私が感じているこれは――

繰り返しますが、元来私は熱というものが苦手でした。
涼しいもの、冷たいものを好んでいました。
冬が好きで、夏が嫌いで。しかし夏に食べるかき氷が好きでした。
そして、人肌の熱――兄さんの平熱は36.4℃と伺っています――は、私にとって熱すぎるものでした。
それは触れたくても触れられない、イカロスにとっての太陽のようなものでした。

しかし私はこうして、今まさに兄さんの肌に触れています。
驚くべきことでした。
それはとても心地の良い、人肌の熱でした。
兄さんの肌は、兄さんから伝わってくる熱は、私にとって――筆舌に尽くしがたく、とても、とても心地の良いものでした。
冷たさとはまた違っている感じで、何と言えばいいのでしょうか――
満たされる。
そんな感じでした。

兄さんが起きるまであと一時間ほど、それならば――ベッドの上、兄さんの傍らで私は体を丸めます。
それは今の私の落ち着く寝相でした。
兄さんの匂いと熱をすぐ側に感じながら、満たされる胸の内にたゆたいながら、急速に遠のいて行く意識の中で、私はこんな事を考えていました。
なぜ、兄さんの肌に触れられるのか――
人間の平熱は36℃ほど、対する猫の平熱はたしか38℃ほどだったと思います。
猫の平熱は人間のそれより2℃ほど高いのです。
そして、私の平熱――低体温である35.3℃が、体が猫になったことによって2℃ほど底上げされて37℃に、今まで自分より高かった人間の熱が下になり、それを耐えられるようになったのではないかと――
これは単なる推測です。
ですが、これなら――このまま猫の体のままでも良いかもしれないと、その時の私は思ったのです。


そして吹雪が目を覚ますと、その体は人間に戻っていた。他の誰でもなく、吹雪自身の体。
毛皮のない白く透き通るような肌と、そして手の平。
すべてが元通り。
きっと星花にも髭は生えていないし、一階は水浸しにもなっていないし、氷柱は鬼のままかもしれないが――
ただひとつ違う所は、吹雪の目覚めた所が兄の部屋だったというところだけだ。

「あ、よかった起きた! 吹雪おはよう」
「…………おはようございます」
兄は吹雪の顔をを心配そうにのぞき込んでいた。
「びっくりしたよ、起きたら横に吹雪が寝てて――体、なんともない?」
「……大丈夫です、心配をおかけしました」
「ところで、なんでまた俺の布団にいたの?」
「……猫」
「えっ?」
「いえ、なんでもありません。きっと寝ぼけていたのでしょう」
吹雪は目を覚ます様に頭を振る。夢に違いない。
思い返せばありえない事だらけで、メタモルフォーゼ、変身? そんな非科学的な事はあるはずがないのだ。吹雪はすべてを否定する。
しかし、しかし――
吹雪は鮮明に覚えていた。吹雪が今まで一度も味わったことのないはずのあの熱の感覚を。胸の中を満たした心地の良さを。
夢は脳が記憶したものを整理している時に見る、ザッピングされたシアターにしか過ぎないのだ。
ならば、あの感覚は――
そして吹雪は手を伸ばし、兄の手を取る。
チリッとした、熱を拒絶する感覚――
そこに気持ちの良さは無い。この感覚までも、すべてが、すべてが元通りだった。

吹雪は手を放して、兄の顔を見ながら言った。
「兄さん」
「うん?」
「ありがとうございました」
「…? 何が?」
確かに兄は吹雪を人間に戻してくれた。その感謝の言葉を吹雪は言った。
しかし兄から見た吹雪の顔は、声は、

その表情は――。



(おわり)

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柔らかいタオル

「へんなのー」

家の庭で遊んでいた下から二番目の妹の青空は、自分の名前と一緒の名前の青空を見上げながら不思議そうな声をあげていた。

「おひさまぴかぴかしてるのに、あめこんしてる!」

それは青空の初めて知る天気だった。
自分の知らなかったことを見付ける喜びに溢れる歓声を上げた青空は、そのままばんざいと手のひらを太陽に透かしてみる。
見上げた先には秋晴れの空が広がっている。
太陽はまだ空高くで輝いていて、青空の手を赤く透けさせる光を放っている。
なのに、今も青空の手に、顔に、ぱらぱらと雨粒がぶつかっていた。
雨が降っているのだ。
とても静かな雨が降っていた。

雲から雨が落ちてくる。
詳しい概念など小さい青空は全く知ったことではないけれど、雲と雨のその関係くらいは体験で知っていた。
雨が降る時はいつも雲と一緒。
そう思っていたのに――この不思議な天気が何だろう?
青空の好奇心は強く強く刺激されたけれど――

「そらちゃん、ぬれちゃうからあっちいこ?」

そんな青空の手をさくらが掴んで家の方へと引っ張った。
今も雨に濡れ続ける青空を心配したさくらの行動だ。
気がつくと、青空の服も髪も雨に打たれ、びしょにしょではないけれど水気を含んでしっとりと濡れている。
このままではお姉ちゃんたちに怒られちゃう!と思った青空は、さくらと一緒に急いで家の縁側まで逃げ込んだのだ。


「お姉ちゃん、お外の天気が変なの!」
「どうしたの?」
窓を開けて家の中に飛び込んだ二人は、ちょうどそこにいた蛍に、興奮気味に外の様子を報告する。
「お日様が出てるのに、雨が降ってるの」
「え、ほんと!?」
それを聞いた蛍は、慌てた様子で窓際まで駆け寄ると外を覗き込む。
そこでようやく何が起こってるか理解したようだった。
「きゃー大変!洗濯物取り込まなきゃ!」
さくら達と入れ違いに蛍が庭へ飛び出して、そこに干してある洗濯物を手当たり次第に掴んでは抱え、家の中へと放り込む。二人の隣には洗濯物の山が築かれていく。


「ほれ、ふたりとも。これで体を拭くのじゃ」
ぽかんと外の様子を眺めていた二人へ、ふかふかのタオルが差し出される。
さくらが振り返ると、そこには観月と小雨が立っていた。観月が二人分のタオルを抱えている。
「ありがとう観月ちゃん」
さくらはタオルを受け取ると、ぺたんと床に座って帽子を膝の上に置き、タオルを頭から被る。
隣では同じように頭からタオルをかぶってうろうろとしていた青空が小雨に捕まっていた。
びっくりしたような、楽しそうな青空の声がタオルの下から聞こえてくる。

さくらがタオルから顔を出したときには、観月は空を見上げていた。まだ雨は降り続いている。
「ふしぎなの、みづきちゃん。晴れなのに雨なの」
観月はふむ――とさくらの方を見ずにそのまま話を続ける。
「これはの、さくら、天気雨というのじゃ」
「てんきあめ?」
うむ、と観月は頷く。
「晴れているのに、天気がいいのに雨が降る。ちょうど今みたいな天気じゃな、このことを天気雨というのじゃ」
「ふうん――」
さくらは窓の内側から外を見る。天気がいいのに降っている雨というのはやっぱり不思議に見えた。
雨の粒が落ちる時に太陽の光で一瞬だけ輝いて、庭には輝く光の筋が何本も見えた。蛍はその隙間をかいくぐるように、未だ洗濯物と格闘している。残りはあと僅かだ。
「――それにの、さくら」観月はささやくように言う。「この天気にはある秘密があるのじゃ」
「どんなの?」
さくらは体を拭く手を一旦止めて、観月の方を向いた。観月は相変わらず空を見上げている。
「天気雨が降る時は、狐が婚礼……結婚式をする“しるし”と言われてるのじゃ」
「結婚式? わあ、すてき――」
観月は婚礼の儀と言いかけ一瞬口をつぐみ、さくらが分かるように結婚式と言い直した。
実際それは功を奏したようで、さくらは結婚式に思いを馳せた声色になった。
「じゃあ、ねこさんの結婚式にはどんな雨が降るの?」
観月はそんなそくらの答えに苦笑して、
「天気雨が降るのは狐の結婚式の時だけじゃ。だから、天気雨のその別名を――」
空を見ていた顔を、ようやくさくらの方に向けると、
「狐の嫁入りというのじゃ」
そう教えてあげた。

さくらは観月の顔を見て驚く。
何故なら、観月が――観月の瞳から、一筋の涙が流れていたからだった。

「みづきお姉ちゃん、ないてる……?」
「……ああ、これは――きっとさくらか青空の雨雫が顔に当たっただけじゃ」
観月はそう言って、服の袂で目元を拭う。
「ほら、泣いていなじゃろう?」
笑いかける観月の顔は、もうちっとも淋しそうには見えなかった。

でもさくらは、観月のその言葉が嘘だと思った。
結婚式はとっても楽しいものだってさくらでも知っている。
でも、そんなとても楽しいはずの、結婚式の話をしていたのに――
さくらの方を振り向いた観月は、なんだか、さくらがはっと息を飲んでしまうほどに、
とてもとても、淋しそうに見えたからだった。

でもさくらにはそれ以上何も言えなかった。
――何を言ったらいいのか分からなかった。

「みづきちゃん!お外がダメならお部屋で遊ぶの!」
でも何かをしないといけないと思ったさくらは、とにかく行動することにした。
それが合っている事かどうかはわからないけど、自分の中の気持ちを信じて動いてしまう。
それはさくらの中に密かにある、頑固な所だったけれど――
自分でもびっくりするくらいに大きな声を上げて、ぐいぐいと観月の服を引っ張って。
「わ、待つのじゃさくら!」
観月は引きずられるように部屋を後にする。さくらのどこからそんな力が出ているのか、観月にとっては天気雨よりもそっちの方が不思議だった。
でも、そんな事を言いながらも観月の顔は微笑んでいた、さくらの優しさにこっそり感謝するように。
「そらもいく!」
二人の後に続いて、青空も駆けてついていった。

あとに残るのはタオルが2つとさくらの帽子と、そして小雨。
小雨は最初はさくらの大声と行動にびっくりしていたけれど、今は落ち着いて散らかってるものを片付け始めていた。

ふと外を見ると天気雨が止んでいた。
その空には裏山に架かる、大きな虹が出ていた。

蛍はそれを見ながら、やれやれと洗濯物をまた干し始める。
小雨はそれを手伝うために、サンダルを履いて庭に出ることにした。
そんなサンダルの中には雨水が入り込んでいて、ひんやりと、
小雨の靴下をちょっとだけ濡らしたのだった。


(終わり)

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君にだけ聞こえる声で


「これを……星花にですか?」
「うん、星花のために選んだんだ」

陽太郎は笑顔でそう言いながら、星花へと、とある包みを差し出していました。
その包みはプレゼントの包みで、陽太郎でも両手で持つほどに大きなものでした。
そんなプレゼントに負けず劣らず大きく目を見開いた星花は、びっくりしてしまって、
まるで信じられないといったような声が、口から漏れてきます。
「え、あの……お兄ちゃん! あ、ありがとうございます!」
我に帰った星花は抱きつくようにそのプレゼントを受け取ると、慌てたようにお礼を言って――

『誕生日おめでとう!』
星花はそのお返しに、陽太郎と、家族みんなから、お祝いの言葉を貰いました。


これは、星花の誕生日の、とある一幕。


「ね、ね!星花ちゃん何貰ったの?早く開けてみようよ!」
「こら、タイミングってもんがあるんだからそう急かすんじゃないの」
待ちきれずにぴょんぴょんと星花の周りを飛び跳ねる夕凪の首根っこを捕まえて、氷柱はそれを窘めます。
ぐえ、と小さい声が漏れて、夕凪はやっとおとなしくなって
「でもぉー…氷柱お姉ちゃんはプレゼントがなんだか気にならないの?」
「それは理由にならないわよ。それに、下僕の用意しそうなものくらいすぐに検討付くわ」
氷柱の当然だという態度に、ハハ…と陽太郎は苦笑をして、
「あ、いいんです氷柱お姉ちゃん!……あの、お兄ちゃん、開けてみてもいいですか?」
「うん、もちろん。でも、気に入ってもらえるかどうか分からないから……あんまり期待はしないでね?」
そんなことないのに――と星花は思います。
サテン地の真っ赤なリボンでくるりと結ばれ飾られた、ライトグリーンの大きな不織布に包まれたプレゼント。
あまりに大きいものだから、すごく重いのかな? と星花は思ったけど、
兄の手から渡されたそれは、星花でも軽々と持てるほどには軽く、しかし心地のよい重さがありました。
そして、不織布の中に隠れているプレゼントの形と感触が、星花の手に伝わってきて――
正直に言えば――氷柱の言うように、星花にもこの中に何が入っているのか、なんとなく分かってしまいました。
それでも、楽しみが無くなったわけではありません。
むしろ星花の胸はさっきよりもドキドキとしていて、
震える手で、丁寧に包装を解いていきます。

そして――
そこから出てきたプレゼントは、大きな大きな、白黒の――
パンダの、ぬいぐるみでした。

「わぁ…!」
『きゃーっ!』
それを見た星花の妹たちが、わっと星花の周りに集まってきます。
「せいかもねえちゃんのぱんださん!かわいいv」
虹子の楽しそうにはずんだ声と、
「ふわぁ……ミーチカちゃんよりずっとおっきい…」
さくらのちょっと羨ましそうな声、
「ふむ、確かにすごい大きさじゃのう?」
「観月よりも大きいんじゃない?」
「む、わらわはそんなに小さくないのじゃ!」
それに観月とマリーの小さなケンカが重なって――
とたんに賑やかに、ちびっこたちの、ぬいぐるみとの背比べが始まります。
「マリーはヨユーで勝ちね!」
「そらは?ちっちゃい?」
「ちょっと待って?ほら青空ちゃん、ぴしっと気をつけをして――」
「さくらも被り物を脱ぐのじゃ、ちゃんと測れないじゃろう?」
「正確に計測するには、メジャーなりを持ってきた方が良いのでは……」
「いーのいーの吹雪ちゃん、こういうう風なのが楽しいんだから!」

と、そんな自分よりも大きな新入りに興味を示した子が一人、こっそりとハイハイで近付き始めます。
「だー?あーっちゃ?」
「あっ!駄目ですよあさひちゃん、これは食べものじゃないんですから」
「小雨、そんなに決めてかかるとあさひが怒るぞ?ほら――」
あさひを抱き上げる小雨を見て霙がそう茶々を入れた途端に、あさひはじたばたとあばれ始めます。
確かにそれは、小雨に何かを抗議しているようにも見えて、
「だぁ!うぶぶぶぶ……んばだぁっだ!」
「ご、ごめんなさいあさひちゃん、そういう訳じゃなくて……」
「まあ、私の制服のスカートを食べてくれたこともあったからな、な?あさひ?」
「ぶぅー…んば?」
ヒカルは小雨の腕からあさひを引きとると、懐かしむような声色であさひに語りかけます。
それはちょっと前の話――ヒカルは自分の真新しい制服のスカートを、あさひに食べられてしまった事があって。
ヒカルは結構気にしていたのに、あさひは何のことだか全く分からないと、不思議そうな顔をしていました。
「おい、覚えてないのか?参ったな……」
と、ヒカルは楽しそうに笑って――


「あのプレゼントは下僕が選んだの?」
「うん、どうだったかな…?」
「私に聞かれても困るんだけど」
星花を中心とした賑やかな輪からちょっと離れた場所では、陽太郎と氷柱のプチ反省会場が出来ていました。
「んーいや、子どもっぽいかなって思ったんだけどさ、思い切ってプレゼントしてみて、どうかなって」
「ふん、まあ十分子どもっぽいわね。ティディベアとかならまだ許せたかもしれないけど……」
「ぐっ…」
気にしていた所を抉るような氷柱の言葉。
「……ま、その答えは星花の様子を見たら分かるんじゃないの?」
そう言って氷柱が促した視線の先。
そこには、夕凪や吹雪や、立夏に小雨に、それに幼稚園組のみんなに囲まれて、笑顔でみんなと話をしている星花の姿がありました。
もちろん、そこには大事に抱えられた、パンダのぬいぐるみがあって
「下僕にはあれががっかりしてるように見える?」
「……いや」
「ならいいじゃない」
「でもさ、ほんとによかったのかな」
「まあ下僕頭で100点を取るってのを考えるほうがアレだけど――」
そこで、ふと星花は陽太郎達の視線に気づきます。
星花はそれに、少し照れたような表情ではにかんで――

「お兄ちゃん――ありがとうございます!」

でも、とびきりの笑顔を返して、そう言いました。
「……まだなにかぐだぐだ言うことはある?」
「……全く、はは、敵わないなぁ」
「当然ね」
「……お前じゃなくて、星花にだよ?」
「分かってるわよ」
フン、と氷柱はそっぽを向いて。

そして――


「ふぅ……っと」
お風呂上りの星花は、自分のベッドの上にすとんと腰をおろして、
部屋には自分一人だけ、ぶぅんと回る扇風機の音がやけに大きく聞こえてきます。
扇風機の風は火照った星花の肌の上を流れると、肩まで下ろされた髪をゆるくなびかせて行きました。
「うん…」
星花はそこから、みんなから貰ったプレゼントがおいてある机の上を眺めながら、誕生日パーティの事をほんのりと思い出していました。
パーティのごちそうも、お祝いのアイスのケーキも、全部がおなかの中でじんわりと重たくなっていて、
幸せな気分のまま、星花はベッドに横になってしまいたい気分でした。
でももうちょっとだけ、髪が乾くまで――
星花は自分の椅子に座らせていたぬいぐるみをベッドへ持ってくると、自分の隣へ座らせると、
もたれかかるように腕を回して、少しの間だけ、目をつむることにしました。
楽しい時間を、思い出しながら――


「あっつーい!」
「ただいまです」
「あ、おかえりなさい」
そうこうしているうちに、お風呂から出てきた吹雪と夕凪の二人が部屋に入ってきました。
「星花姉は、もうすっかりそのぬいぐるみが気に入ったようですね」
「うん、なんて言ったらいいのかな……なんだかすごくぴったりな感じがして…」
星花はうまい表現が思いつかなかったけれど、そんな言葉を選んで
「ふぅん、いいなぁ……ねえ星花ちゃん、夕凪にもちょっと貸してくれる?」
大事にしてね?と念を押して、星花は夕凪にパンダのぬいぐるみを渡します。
「わ、っと、すごい!もふもふしててきもちいい……」
「えへへ、そうでしょ?」
「うん、やっぱり星花ちゃんいいなぁ。夕凪もぬいぐるみ、おっきく出来たりしないかなぁ?」
「それは、どうなのかな……」
「後で試してみようっと、ねえ吹雪ちゃんも抱きしめてみようよ?」
「……いえ、私は今は遠慮しておきます」
いつの間にか扇風機の前に移動していた吹雪がそう断って、
「じゃあ吹雪ちゃんの分もぎゅーっ♪」
「うー……夕凪ちゃん、そろそろ……」
「まだー、もうちょっとだけ!」
「もう……」
こうして、3人の夜は更けていきます――


「おやすみー」
「おやすみ」
「おやすみなさい」

真っ暗になった部屋の中、
星花は夕凪からやっと取り返して、ベッドの中へと連れ込んだぬいぐるみを改めて抱き寄せます。
腕の中にすっぽり……と言うには少し大きいけれど、収まりはとても良くて。
腕に擦れるぬいぐるみのさらりとした優しい感触に、やっぱり、うっとりしてしまって。
(――お兄ちゃんが選んでくれたプレゼント……)
星花はこのプレゼントを手渡された時の事を思い出して、ぬいぐるみを抱いた胸の中が、じんわりと暖まるような気持ちがしました。
夏の寝苦しくて暑い夜だというのに、それを忘れられるような、不思議な暖かさ。
ああ、それはまるで、すぐ側にお兄ちゃんが居てくれるような、そんな感じだなぁ……と、星花は瞳を閉じながら思います。
でも、眠ろうとしている頭でそんな事を考えたものだから、星花は急にこのぬいぐるみが、お兄ちゃんの分身のように思えてきました。
(えへへ、お兄ちゃん……)
甘えるように頭をぬいぐるみに押し付けると、真新しいぬいぐるみの香りがそこから溢れ出て、星花の鼻をくすぐります。
まっさらな匂いは今だけの匂い。
これからこのぬいぐるみはどんどん星花の匂いになっていくのでしょう。

(そうです、折角だから、名前をつけてあげないと――)
そう思い立った星花はまぶたを開いて、そこにある、ぬいぐるみの顔を眺めます。
そこには、真っ暗な部屋の中で、パンダの白いところだけが微かに浮かび上がって、不思議な逆シルエットがありました。
そんなぼんやりとした姿でもはっきりと分かるパンダの模様に、星花はなんだかくすりと笑ってしまいます。

(パンダさんにはどんな名前がぴったりなんでしょうか?)
(やっぱりかわいい名前が一番ぴったり……かな?)
(なら関羽様って感じでもないですし……やっぱり趙雲様とか?)
(あ、それなら阿斗ちゃんとかでも……劉備様なお兄ちゃんの赤ちゃんですし!)

そこで星花は、ふとある思いつきをします。
お兄ちゃんみたいなぬいぐるみなら……お兄ちゃんの名前から文字を貰って、それを付けてもいいかもしれない、と。
(お兄ちゃんの名前は陽太郎…だから、えっと…………)

そして、星花は口を開きます。
小さな声で、誰にも聞こえないように、

「陽…くん……」

星花は、囁いて。

――それは幸か不幸か、部屋の電気を消えていて、その顔は誰にも見られることは無かったけれど、
自分の言った言葉が自分の耳に入ってきたその瞬間に、星花の顔は、まるでリンゴのように真っ赤になってしまいました。
(~~~っ!)
悶えるように、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめながら、
背中を丸めた星花は、ベッドの上で小さく縮こまってしまいます。
(ああ、ダメですこれ…なんだか、なんだか、恥ずかしすぎます!)
たった一言で星花が受けた、予想以上の大ダメージ。
星花の胸は、同室の夕凪と吹雪に聞こえるんじゃないかというくらいに、ドキドキと高鳴っていました。
「うぅ……」

もう寝なきゃ…とずっと星花は思っているけれども、体はとてもそんな気分にはなっていませんでした
体は熱くなってしまって、胸は高鳴って、頭の中にはさっきの事がぐるぐると巡っていて……

『陽くん』

たった一言の、例えば星花の姉の立夏なら簡単に呼びそうな、そんな名前。
でも、星花にとってその呼び方は、とてもこそばゆくて、きゅっと胸が苦しくなって――
そんななのに、不思議なことに、
他のどんな名前よりも、このぬいぐるみにぴったりな名前だと、星花は確信してしまいました。
……恥ずかしくて、もう二度と呼べそうにはないけれど。
「…お兄ちゃん……」
ぎゅうっと、今度は力いっぱい、ぬいぐるみを抱きしめます。
やっぱり、ぬいぐるみからは真新しい匂いがして――

誰にでもある、自分の一番大事な宝物。
星花にとっての、一番大事な宝物は、今日――
お兄ちゃんから貰った、この誕生日プレゼントになりました。


seika_birth.jpg




























(おわり)

~~

挿絵は「「Lovely Baby*」」のやまざき美桜さんに描いていただきました!
可愛すぎるステキな星花をありがとうございます!

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